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最終更新日:2019年06月14日

1873年 (明治6年) 保福寺を仮の校舎にして上野学校としてはじまる。【明治8年児童数216名】
1876年 (明治9年) 現在地(低学年グラウンド)に本校舎が建てられる。(藤村式建築)
1887年 (明治20年) 上野尋常小学校と名前がかわる。
1888年 (明治21年) 上野原尋常高等小学校と名前がかわる。
1893年 (明治26年) 上野原村議会で11月17日を創立記念日として決定する。
1915年 (大正4年) 昔の校章が完成する。                【明治40年児童数505名】
1921年 (大正10年) 児童数が1000人をこえる。(1031名)
1929年 (昭和4年) 水越八重女史が山林を本校財産として寄付して下さる。
1931年 (昭和6年) 高学年グラウンドを広げる。「月見が池」が完成する。
1941年 (昭和16年) 上野原国民学校と名前がかわる。
1944年 (昭和19年) 大けやきが国の天然記念物に指定される。   【昭和20年児童数1705名】
1947年 (昭和22年) 現在の上野原小学校と名前がかわる。PTAがスタートする。
1960年 (昭和35年) 講堂(体育館)ができる。
1974年 (昭和49年) 鉄筋校舎(今の東館)が完成する。        【昭和50年児童数1157名】
1990年 (平成2年) 現在の新校舎・体育館・プールが完成する。  【平成元年児童数943名】
1991年 (平成3年) 木造校舎を取り壊し,低学年グラウンドが整備される。
1996年 (平成8年) 給食棟が完成する。翌平成9年,給食がはじまる。
2002年 (平成14年) コンピュータ室ができる。八重山学校林が整備され植樹などが行われる。
2003年 (平成15年) 創立130周年を記念して,航空写真を撮影する。
2005年 (平成17年) 2月13日,上野原町と秋山村が合併し,上野原市立上野原小学校となる。
2006年 (平成18年) 山梨県教育委員会指定「学びの意欲向上推進事業」公開研究会を実施する。
2010年 (平成22年) 耐震化・大規模改修工事が行われ,校舎が整備される。
2011年 (平成23年) 大鶴小学校,棡原小学校との交流会が行われる。
2012年 (平成24年) 大鶴小学校,棡原小学校と統合され, 大鶴,棡原地区児童のスクールバス通学が始まる。
メールによる緊急連絡網が実施される。【平成24年児童数591名】

2014年(平成26年)授業改善プラン実践事業指定校として主に算数科,理科の授業改善プランの研究を開始。
(平成26年~28年までの3ヵ年の指定)【平成26年児童数531名】

2017年(平成29年)全教室・ランチルーム2Fにエアコンが設置される。